河村城跡 (神奈川県山北町)大規模な障子堀もある
山北町にある河村城は丘陵に築かれた山城で蔵郭を挟んで東西に大きくエリアが分かれているのが特徴です。 城の規模も大きく、相模・甲斐・駿河の国境近くにあるため、重要な城だったと思われます。 南北朝時代に築かれた砦が起源で、戦国時代は北条の城として整備・拡張されたました。 北条の城といえば障子堀が特徴ですが、河村城でもかなり大規模な障子堀が作られています。...
View Article右左口宿 (山梨県甲府市) 中道往還の宿場町
甲府精進湖道路(国道358)を走ってくると「右左口」という変な名前の地名があって気になって寄ってみることに 右左と書いて「うば」と読むらしいですね。 国道から集落の方に入っていくと、蔵や古い民家が残る町並みが現れました。...
View Article道の駅南部 (山梨県南部町) 南部氏の展示館にも注目
南部といえば東北の南部地方を連想する人が多いと思いますが、山梨県の南部町こそ南部氏発祥の地。 道の駅南部には南部氏展示館があるので歴史に興味のある方は見学していきましょう。 展示館は「村の駅」の裏にひっそりと併設されていているので、ちょっと入口が目立ないのが残念。...
View Article蟹ヶ谷公園 (神奈川県綾瀬市) 野鳥観察のメッカ?
綾瀬市の蟹ヶ谷公園はアップダウンのある地形をうまく活かした公園で、散策にもってこいの公園です。 芝生の広場を横切って小高い見晴台に登るとまぁまぁの眺め、晴天なら富士山も見えるのかな? 見晴台の北側には湿生園が広がっており、初夏にはハナショウブが見頃になるそうです。 池の回りは遊歩道があり、のんびり散策もできます。水辺の鳥も多いようですね。...
View Article三岐鉄道三岐鉄線 (三重県)
三岐鉄道には三岐線と北勢線があり、今回紹介するのは三岐線になります。富田から西藤原まで員弁(いなべ )川の右岸に沿うような感じで走るローカルな路線です。 途中の伊勢治田駅では対岸を走る北勢線の阿下喜駅まで徒歩で20~30分ほどなので、ここで北勢線に乗り換えも可能。 東藤原では太平洋セメントの専用線が分岐しており、連結や切り離し作業を撮影する撮り鉄もかなりいました。...
View Article三岐鉄道北勢線 (三重県) 珍しいナローゲージ
今回は三岐鉄道北勢線の紹介です、員弁川の左岸に沿うような形で西桑名から阿下喜を結ぶ路線です。 最大の特徴は軌間が762mmと狭いこと。(日本ではほとんどの鉄道が1,067 mmまたは1,435 mm) それほど狭さは感じないですが座席から足を伸ばすと向かいの席にぶつかる気がします。 電車内はちょっと古い普通の電車という感じですが、ハート型のつり革がありました (´∀`*)...
View Article伊賀上野城天守閣 (三重県伊賀市)三代目の復興天守
伊賀上野城の天守閣は三代目で、初代は天正13年に筒井氏が現在の場所より東に築いた三層の天守、二代目は慶長13年に藤堂高虎が築いた天守、そして三代目は昭和10年に建てられた現在の天守になります。 藤堂高虎時代の天守は五層でしたが竣工間近に暴風雨で倒壊してまい、その後再建されることはなかったのですが、昭和10年に地元の有力者が木造で三層の大天守と二層の小天守を建てました。...
View Article道の駅月ヶ瀬 (静岡県伊豆市) 狩野川の清流が心地よい
道の駅月ヶ瀬は伊豆縦貫自動車道天城北道路の月ヶ瀬ICに併設され2019年12月にオープンしたばかり。 木材をふんdんに使った建物はまだオープンしたばかりということもあり、和の香りがしてきます。 レストランでは地元に食材を使ったメニューがたくさん用意されていました。 テラス席からは狩野川の清流を眺めることもできます。 テラス席の外は大きなウッドデッキがあり、ここからも狩野川を眺めることも。...
View Article道の駅富士・上り (静岡県富士市) 食堂がリニューアル
国道1号の道の駅富士(上り)が去年の2019年12月にリニューアルしました。 今回のリニューアルでは食堂がかなり変わって以前より特徴のある店舗に様変わりしました。 こだわりの国産食材を使った料理はがっつり系からあっさり系まで種類も多く、値段も良心的な価格です。 売店もリニューアルされてお土産品の種類も多くなって、いでぼくのソフトクリームやヨーグルトなどのテイクアウトショップも入りました。
View Article早川城跡 (神奈川県綾瀬市) 御家人渋谷氏の城?
綾瀬市にある早川城は鎌倉時代の御家人・渋谷氏の城といわれていますが、はっきりとわからないそうです。 城跡のある高台は城山公園になっていてますが、城の遺構も残さされています。 北側にある堀切と土塁はかなり良い状態で残っています、堀の深さは5メートルぐらいでしょうか。 西側にある塚は最初は古墳かと思いましたが物見塚でした。塚の上には「東郷氏祖先発祥碑」が建てられています。...
View Article北条早雲(富樫倫太郎著) 俺は極悪人になる!
俺は極悪人になる!という帯のキャッチコピーに惹かれたのと地元にも縁のある武将の話なので買ってたのですが、読み始めたら止まらなくなって1巻、2巻を一気に読んでしまいました。 1巻は青雲飛翔編は北条早雲を名乗る前の伊勢新九郎が駿河に来るまでの話 興国寺城跡(2020年2月撮影) 2巻悪人覚醒編では興国寺城の城主として活躍し伊豆に侵攻する話になっています。...
View Article中央構造線北川露頭 (長野県大鹿村) 大断層の露出
九州から関東を貫く大断層である中央構造線が地表に露出している箇所が大鹿村にあります。 写真の画面に向かって左側が内帯(日本海側)、右側の黒っぽくなっている方が内帯(太平洋側)で構造線で地質が変わります。 日本列島の誕生にもかかわる場所? にいると思うとロマンも感じるかな (^^;...
View Article小渋ダム (長野県中川村・松川町) 貯水量が諏訪湖とほぼ同じ!
小渋ダムは天竜川川水系小渋川に造くられたアーチ式コンクリート式ダム。高さは105 mでまぁまぁ大きい部類でしょうか。 着工は昭和38年で完成は昭和44年ということで、かなりの工期がかかっていることから難工事であったと想像できます。 堰堤の端からダムを眺めるときれいなアーチが目に入り、これぞダムというイメージ。岩盤の上に立つ管理施設も秘密基地っぽくて好きです。...
View Article騎西城 (埼玉県加須市)三層の模造天守
騎西城には小さな天守がありますが、模造なので無いものと思ってください、しかも天守がある場所は本丸でもない関係ない所・・・ 実際には天守はなく土塁と堀を巡らせ、建物は平屋だったようです。 二重の障子堀に囲まれ、堀の幅は最大で45メートルもあったというから、戦の拠点に使われた城であったと思われます。...
View Articleジャングル公園 (大分県大分市) 街の中に密林
大分の街中にポツン密林 その名は「ジャングル公園」 獲物を狙う野生動物?も生息している模様 名前はジャングルですが実際のところは林ぐらいかな 開園当初はまさにジャングル状態だったが、木々を間引きして現在の状態になったそうです。
View Article新しい旅のエチケット 感染リスクを避けて慎重に楽しく
旅行関連の業界団体である旅行連絡会と国土交通省・観光庁が協力して「新しい旅のエチケット」が策定されたので 拙ブログでも紹介したいと思います。 新しい旅のエチケット PDFファイル 新しい旅の エチケット - 国土交通省 マスクの着用、車内や飲食店での会話を控える、お土産はやたら触らないなどなど ちょっと我慢することもありますが リスクを避けて行動して旅を楽しめたらと思います。...
View Article新発田藩下屋敷庭園・清水園 (新潟県新発田市) 京風の大名庭園
新発田市の清水園は新発田藩下屋敷の庭園として四代藩主・溝口重雄(しげかつ)が築庭させた庭園です。 近江八景をとり入れた庭の中央に大きな池を配した風雅な庭園で越後路から東北にかけて他に比をみない名園と言われています。 庭園にある書院は清水谷御殿と呼ばれた建物で一般公開されており内部も見ることができます。 大名の下屋敷の御殿ですが質素な造りなのは幕府に対しての遠慮だと思われます。
View Article米沢をレンタサイクルでぶらり (山形県米沢市) 米沢駅から松が岬公園
江戸時代に上杉家の城下町として栄えた米沢には上杉家ゆかりの史跡など見どころも多いのですが、米沢駅から観光のメインとなる上杉神社までは徒歩だとちょっとかったるい 路線バスや周遊バスもありますが、今回は駅レンタカーで自転車を借りて回ることにしました。 レンタカーのお店で自転車も借りられるのですね (^^; アシストなしの普通の自転車が4時間で500円でした。...
View Article米沢をレンタサイクルでぶらり2 (山形県米沢市) 上杉家廟所、歴史的な家屋など
前回の続きで、米沢をレンタサイクルでぶらり・・・ 伝国の杜で休憩して出発しようとしたら、何やら怪しいカッコいい人が! ご当地ライダー? カメラを向けるとポーズを決めてくれました ('◇')ゞ 元気をもらっていざ出発。 善日山千勝院は元々は千手院と称し越後高田で上杉謙信の祈祷所でした。...
View Article諏訪高島城 (長野県諏訪市)日本三大湖城の一つ
諏訪湖の湖畔にある諏訪高島城は諏訪の浮城と呼ばれ日本三大湖城の一つに数えられています。 現在はお城の周辺は埋め立てられてしまっていますが、昔の絵図を見ると水城だったことがわかります。 諏訪湖と周辺の河川や沼地が外堀の役目をして敵の侵入を防ぎ攻めにくい城だったと思います。 天守は三層三階で取り壊される前に写された明治時代の写真を元に復元したそうです。 こちらは復元された門。...
View Article