騎西城には小さな天守がありますが、模造なので無いものと思ってください、しかも天守がある場所は本丸でもない関係ない所・・・
実際には天守はなく土塁と堀を巡らせ、建物は平屋だったようです。
二重の障子堀に囲まれ、堀の幅は最大で45メートルもあったというから、戦の拠点に使われた城であったと思われます。
築城年は不明ですが、記録によると康正元年(1455年)に古河公方・足利成氏(しげうじ)が深谷上杉氏(鼻和上杉)の守る騎西城を攻略
永禄6年(1563年)には上杉輝虎(謙信)が小田助三郎の守る騎西城を攻略し落としています。
城の周辺は宅地化されて遺構はほとんど残っておらず、わずかに土塁の跡が残っているだけ。
余談ですが、天守の裏にある池では蓮が見頃になっていました。