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浜岡砂丘 (静岡県御前崎市)
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7/14(日)のPhotomemo日記
17:02三島にある小浜刑場跡 。江戸時代に幕末まで使われたそうです。、供養塔が残っています。三島駅北口から歩いてすぐだけど、目立たなくひっそりと供養塔だけ残っています。
from Photomemo/teruminmin
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山手イタリア山庭園・外交官の家 (神奈川県横浜市中区) 明治時代のセレブな邸宅
横浜の歴史建築物を幾つか見てきたが、山手地区には行ってないので訪れてみました
石川町駅からすぐの距離だが急な坂や階段を上るのでかなり疲れました
イタリア山庭園はその昔、イタリアの領事館があった場所。
今でも山手地区にはセレブな邸宅が多くカメラ片手にブラブラ歩いていると怪しい人がいると通報されるのではと心配しましたが、カメラを持って散策する人が多く安心しますた。
さて、庭園は花壇と水路を幾何学模様に配したイタリア式庭園になっています。
庭園の先に見えるのが「外交官の家」
外交官の家は明治から大正時代に活躍した外交官・内田定槌氏の私邸だった建物。
明治43年に渋谷に建てられたが、平成6年に横浜に移築・復元され国の重要文化財に指定されました。
元々は和風の建物もあったそうですが、今は洋館のみになっています。
和風建築があった部分はカフェや事務棟が新たに作られているが、洋館は無料で見学出来るので中に入ってみましょう。
一階は主には応接間やリビング、私邸といっても半公邸的な感じですね。
特徴的なのはガラス張りのサンルーム
こんな部屋で午後のティータイムを過ごしてみたいものです。
二階は書斎や寝室でプライベートな空間になっています。
家具や本も当時の使われていた物が残されていました。
こちらは主寝室、質素だが貴賓がある部屋になっています。
バス、トイレは完全に洋式
この他に内田定槌氏の資料を展示してある部屋もあるので、一時のあいだ外交官気分を味わってみるのもいかがでしょうか。
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潮来散策その1 (茨城県潮来市) 前川あやめ園
ぶらっと降り立った駅は水郷の町で知られる潮来、有名な観光地なのでもっと大きな駅かと思いきやかなり小さい駅。
改札を出ようとしたら、「鹿島線ではSuica等は使えません」の張り紙
ガビ〜ン 駅員にSuicaで乗りましたと言ったら 「読み取り機が入ったので出場だけはできるよ」とのこと、処理をしてもらい無事に改札を出ることが出来ました。
しかし観光客がいない・・・暑い中散策する人も少ないだろうし、隣の佐原でお祭りがあるので皆そっちに行ってるのか?
見所は色々ありそうですが、暑い中を歩くのは辛いので今回は駅周辺を散策することにします。
とりあえず駅からすぐのあやめ園へ
あやめの時期に来れば綺麗なんでしょうが、花が咲いていなくても情緒はある風景である
潮来と言えば「潮来の伊太郎」
こちらは「潮来花嫁さん」の記念碑
顔ハメもありました。
アーチ型の橋は「水雲橋」
元々は前川水門にある場所に架けられていたそうですが、現在の場所に再建されあやめ園のシンボルになっているそうです。
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7/21(日)のPhotomemo日記
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潮来散策その2 (茨城県潮来市) 稲荷山公園古墳群
あやめ園からぶらぶら歩いてやってきたのは「稲荷山公園」
展望台に石碑、古墳群まであるではないか!
長い階段を上って丘の上に上がると神社がある、稲荷山公園なので当然、稲荷神社です
まず目についた石碑は女学校跡の石碑、来歴を調べると現在の茨城県立潮来高等学校の前身だとわかった。明治40年に開校し昭和13年までこの地にあったそうで、移転した後は何度か名前が変わり潮来高校になったようです。
茨城百景の石碑
野口雨情が作詞、中山晋平が作曲した「船頭小唄」の石碑
菊池寛の記念碑
橋本登美三郎記念碑があると看板には書いてあったが見落としたらしいけど、まぁいいや
林の奥を進むとこんもり盛り上がった丘がいくつもある、これが古墳らしい
「稲荷山古墳群」と書かれた木柱だけがあり説明版もなにもなし
前方後円墳みたいだけど、これもそうなのか?
せめて1号墳、2号墳・・・ぐらい表示を付けてくれればいいのに
さらに林の中を進むと
おぉ 水戸光圀公が休憩した跡だそうです
だけどこれも名前が書いてある看板だけで来歴もなにもわからない・・・
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足柄城址 (静岡県小山町・神奈川県南足柄市) 足柄古道の山城
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関宿(せきやど)城 (千葉県野田市) 川の城下町
[関宿城] ブログ村キーワード
関宿(せきやど)は関東平野のほぼ中心にあたり軍事的に重要な地であり戦国時代末期には激しい争奪戦が行われたそうです。
天守が見えますが、この天守は実際に城のあった場所ではありません
関宿城は室町時代に古河から関宿一体を支配していた足利氏の家臣である簗田成助が建てたといわれていますが、三度の合戦を経て後北条氏の支配となります。
小田原征伐の後は徳川家康の支配下となり、譜代大名が城主となっています。
江戸時代には利根川・江戸川を利用した水運の重要拠点として城下町は栄えて行きます。
現在は利根川・江戸川の流れが大きく変わり、本丸のあった場所は江戸川の河川敷となってしまっている、そのため現在天守がある場所は城とは無関係な場所です。
本丸があったと思われる場所には「関宿城址」の石碑と案内板が建てられているが、地図を見ると本丸のごくわずかの部分のようである。
天守のある建物は博物館で利根川の治水、関宿城下の歴史などが主な展示内容です。
さて、天守閣ですが(くどいようだが実際に本丸の場所ではない)文献には江戸城の富士見櫓を模して寛文11年(1671年)に再建とあり、博物館の天守も皇居内の富士見櫓を参考にして(しつこいけど、本丸とは関係ない場所に)建てられました。
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関宿(せきやど)は関東平野のほぼ中心にあたり軍事的に重要な地であり戦国時代末期には激しい争奪戦が行われたそうです。
天守が見えますが、この天守は実際に城のあった場所ではありません
関宿城は室町時代に古河から関宿一体を支配していた足利氏の家臣である簗田成助が建てたといわれていますが、三度の合戦を経て後北条氏の支配となります。
小田原征伐の後は徳川家康の支配下となり、譜代大名が城主となっています。
江戸時代には利根川・江戸川を利用した水運の重要拠点として城下町は栄えて行きます。
現在は利根川・江戸川の流れが大きく変わり、本丸のあった場所は江戸川の河川敷となってしまっている、そのため現在天守がある場所は城とは無関係な場所です。
本丸があったと思われる場所には「関宿城址」の石碑と案内板が建てられているが、地図を見ると本丸のごくわずかの部分のようである。
天守のある建物は博物館で利根川の治水、関宿城下の歴史などが主な展示内容です。
さて、天守閣ですが(くどいようだが実際に本丸の場所ではない)文献には江戸城の富士見櫓を模して寛文11年(1671年)に再建とあり、博物館の天守も皇居内の富士見櫓を参考にして(しつこいけど、本丸とは関係ない場所に)建てられました。
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8/3(土)のPhotomemo日記
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8/4(日)のPhotomemo日記
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志村城跡と熊野神社 (東京都板橋区) 武蔵千葉氏ゆかりの城
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生物多様性センター (山梨県富士吉田市) 生命の広がりを感じよう
生物の多様性を守るために全世界的・国家戦略として設立された施設 と書くと難しい研究施設のようですが、実は無料で見学できるコーナーがあり、大人から子供まで気軽に楽しく学べる所なのです。
内容が充実している割にマイナーな施設なのですが、混雑するメジャーな観光施設を避けてのんびりできるのも良いです。
国家的ブロジェクトなので展示物にも仕掛けが・・・
3面スクリーンでのシアターは見応え十分。
アドベンチャー・ゲームもあります。
高得点を獲得すると「生物多様性保護レンジャー」に合格! 思ったより難しいぞ。
ライブラリー・コーナーも備わっています。
センターがあるのは自然豊かな富士山の麓、自然観察路もあるので実際の自然ふれて生物の多様性を実感できます。
夏休みの自由研究は何にしようと迷っている人は参考に行ってみてはどうしょうか?
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高ボッチ高原 (長野県塩尻市) ダイダラボッチの山
高ボッチ高原に行ってみようと思ったのは「高ボッチ」という変わった名前が気になったから
名前の由来には諸説あるようですが、日本各地の伝説に登場する巨人「ダイダラボッチ」が一般的のようですし、なんとなくロマンがありますよね。
この高ボッチ高原では毎年8月の第一日曜日に観光草競馬大会が開かれるそうです。
馬が走っていないコースはとても長閑ですが、レースの日にはかなりにぎやかになるようです。
ここからの眺めも良いのですが、さらに上に登るともっとよ景色を堪能できます。
歩いても行けますが、今回は楽をして第二駐車場まで車で移動。
はい、到着
天気は良いのですが遠くの方は霞がかかってよくわかりませんでした。
展望台には1643メートルと1665メートルの二つの標高が刻まれていますね、
1665メートルは高ボッチ山の山頂、ここまで来たら山頂まで行かなくては!
山頂まではわずか400メートル、しかもなだらかな道なので楽々です。
高原の自然を楽しみながらのんびり山頂へ
高ボッチ山、標高1664.9メートル
霞がかかっていますが、諏訪湖を見下ろすことができました。
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川越城本丸御殿 (埼玉県川越市) 現存する御殿大広間
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世田谷城址と豪徳寺 (東京都世田谷区) 吉良氏と井伊家ゆかりの地
世田谷城は貞治年(1366年)に吉良治家によって築城されたとされる城で、現在城跡は世田谷城址公園となっている。
吉良氏といえば赤穂浪士事件で有名なあの吉良氏であるが、世田谷を治めていたのは奥州吉良氏の一族で15世紀後半は武蔵国の大きな勢力となっていました。
公園の小高くなっている部分が城郭の一部として残っています。
堀の跡も保護されて残されています。都心にある城跡でこのように遺構が保護されているのは貴重ともいえるでしょう。
説明版によると城の範囲は城址公園から豪徳寺の範囲と推定れています。
それでは次は豪徳寺を見に行ってみましょう。
招き猫の寺で有名な豪徳寺は城内にあった弘徳院が前身
秀吉による小田原攻めの際に世田谷城は廃城となり、世田谷は彦根藩井伊家の領地となります、
このときに井伊家の菩提寺として豪徳寺と名前を変えました。
奥の一角には江戸で亡くなった井伊家の藩主や家臣の墓所があるが、なかでも有名なのは
桜田門外の変で暗殺された15代藩主・井伊直弼でしょうか。
直弼の墓の裏には襲撃を受けて際に殉職した八人の藩士の碑がある
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道の駅・信州新野千石平 (長野県阿南町) 祭り街道の駅
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別れの松と不戦の像 (長野県南相木村) 万感の別れに涙した
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忍城 (埼玉県行田市) 難攻不落の忍の浮城
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碓氷湖と坂本ダム (群馬県安中市) 鉄橋みたいなダム
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千曲公園 (長野県上田市) 岩鼻から古戦場を見下ろす
上田市にある道の駅・上田道と川の駅、道の駅は一般的だが川の駅とは珍しい
しかし、今回はそこから見える「岩鼻」です。
なるほど人間の鼻のように見える、なんと鼻の穴もある。
案内板によると岩鼻の上にある公園まで遊歩道で登れるらしい。
歩くとかなり坂もきつそうなので登るのを止めようかと思ったら、車でも行けることが判明。
いざ、頂上へ
分岐点には道標があるけど、わかりにくい。しかも、途中から未舗装の林道になる
電波塔のさらに奥まで行くと道の終点、そこはちょっとした公園になっていました。
公園内にはやたらと石碑があり、なぜか旅館の石柱も。
公園の先端まで行くと千曲川と上田盆地が一望できる絶景!
この地は武田軍と村上軍の間で激しい合戦が行われた古戦場、古戦場巡りスポットの一つとして訪れるのも良いでしょう。
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