世田谷城は貞治年(1366年)に吉良治家によって築城されたとされる城で、現在城跡は世田谷城址公園となっている。
吉良氏といえば赤穂浪士事件で有名なあの吉良氏であるが、世田谷を治めていたのは奥州吉良氏の一族で15世紀後半は武蔵国の大きな勢力となっていました。
公園の小高くなっている部分が城郭の一部として残っています。
堀の跡も保護されて残されています。都心にある城跡でこのように遺構が保護されているのは貴重ともいえるでしょう。
説明版によると城の範囲は城址公園から豪徳寺の範囲と推定れています。
それでは次は豪徳寺を見に行ってみましょう。
招き猫の寺で有名な豪徳寺は城内にあった弘徳院が前身
秀吉による小田原攻めの際に世田谷城は廃城となり、世田谷は彦根藩井伊家の領地となります、
このときに井伊家の菩提寺として豪徳寺と名前を変えました。
奥の一角には江戸で亡くなった井伊家の藩主や家臣の墓所があるが、なかでも有名なのは
桜田門外の変で暗殺された15代藩主・井伊直弼でしょうか。
直弼の墓の裏には襲撃を受けて際に殉職した八人の藩士の碑がある
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