房総半島から東京湾に向かって突き出た大房岬は、東京湾に侵入する艦船を迎え撃つには絶好の場所である
幕末から大房岬には砲台が築かれていたが、戦争時には帝都防衛の要となるはずであった
丸い花壇のような場所、ここには不要となった巡洋艦から外した対艦砲があった
こちらは幕末の砲台跡、現在はわずかに土塁が残るのみである
コンクリート製の壕、岬にはこのような施設跡が点在している
灯探照(サーチライト)の格納庫、この岬で最大の施設跡だ
縦穴が天に向かって伸びている、幅も高さもかなりあり大きな探照灯を使っていたのがわかる
大房岬の要塞化が始まったのは昭和3年で4年の歳月かけて完成し太平洋戦争終結まで運用されていたそうだ
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