前回
六義園のツツジを紹介したので、ツツジつながりで新宿の百人町へ行ってみた。
このあたりは江戸時代に鉄砲組百人隊が屋敷を構えていたのだが、幕府が盤石となり太平の世になると鉄砲組の出番がない。
そこで、組をあげてつつじの栽培を内職としたそうだ。
いつしか、本業の鉄砲より内職のつつじ栽培の方が有名となり、大久保つつじが広まったそうだ
百人町のある大久保・新大久保界隈は雑然として賑やかな町でとてもつつじが栽培されていた面影はないが
地元では大久保つつじの復活を進めるプロジェクトが進行中のようだ。
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