◎山梨県◎
新府城は武田勝頼によって築かれた城で、天正9年2月に城築工事が始まり同年12月に完成しました。武田勝頼は天正9年12月に入城しますが天正10年3月織田軍に攻められた勝頼は自ら城に火を放ち逃げ延びます。新府城に勝頼が新府城に滞在したのはわずか68日間でした。
本丸の北側には地元民が建てた武田勝頼公を祀った祠があり、祠の左右には武田の重臣たちの慰霊碑が立つ。
シトミの構えや馬出など武田流の築城法が随所に見られます。とくにシトミの構えはこの城の大きな特徴で、本丸内を敵に覗かれないように工夫してある。
出構もこの城の独特なもの。堀の中に張り出した部分があり、鉄砲隊をここに配備して防御力を高めたようです。
新府城から敗走した勝頼は大月の岩殿城を目指しますが、岩殿城の城主が寝返ったために天目山で最期を遂げました。
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本丸の北側には地元民が建てた武田勝頼公を祀った祠があり、祠の左右には武田の重臣たちの慰霊碑が立つ。
シトミの構えや馬出など武田流の築城法が随所に見られます。とくにシトミの構えはこの城の大きな特徴で、本丸内を敵に覗かれないように工夫してある。
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