◎東京都◎
飛鳥山公園にある晩香盧(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)を紹介します
二つの建物は最近になって一般公開されるようになり見学することができます。
晩香盧は渋沢栄一の喜寿祝いのため大正6年に清水組(現・清水建設)より贈られた建物で、栄一はここで数多くの賓客と談話していたそうです。
残念ながら内部の写真撮影は禁止となっているので内部はお見せできないのですが、窓から覗いた写真を1枚
照明器具にハートマークが、大正時代にハートマークを使っているなんて斬新的ですね。
青淵文庫は栄一の80歳と男爵から子爵へとなったお祝いに大正14年に贈られた建物。
当初は収集した論語や徳川慶喜の伝記を執筆するための資料を収蔵する予定だったが、建築中に関東大震災あり、書物の保管先が焼失したために接客の建物として使われました。
(この建物の内部は部分的に写真撮影可になっています)
入り口の扁額は栄一自らの揮毫によるもの
ここの照明器具も凝ったデザインになっています。
一番目をひくのがステンドグラスではないでしょうか。渋沢家の家紋と「壽」がデザインされています。
絨毯にも「壽」の字が。
↓↓↓
飛鳥山公園にある晩香盧(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)を紹介します
二つの建物は最近になって一般公開されるようになり見学することができます。
晩香盧は渋沢栄一の喜寿祝いのため大正6年に清水組(現・清水建設)より贈られた建物で、栄一はここで数多くの賓客と談話していたそうです。
残念ながら内部の写真撮影は禁止となっているので内部はお見せできないのですが、窓から覗いた写真を1枚
照明器具にハートマークが、大正時代にハートマークを使っているなんて斬新的ですね。
青淵文庫は栄一の80歳と男爵から子爵へとなったお祝いに大正14年に贈られた建物。
当初は収集した論語や徳川慶喜の伝記を執筆するための資料を収蔵する予定だったが、建築中に関東大震災あり、書物の保管先が焼失したために接客の建物として使われました。
(この建物の内部は部分的に写真撮影可になっています)
入り口の扁額は栄一自らの揮毫によるもの
ここの照明器具も凝ったデザインになっています。
一番目をひくのがステンドグラスではないでしょうか。渋沢家の家紋と「壽」がデザインされています。
絨毯にも「壽」の字が。
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