◎福井県◎
福井城の前身は、天正3年(1575年)に柴田勝家が築城した北ノ庄城ですが、賤ヶ岳の戦いで敗れた勝家が城に火を放ち妻のお市とともに自害したので建物は焼失してしまいました。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで功を得た結城秀康が越前北庄に初代藩主として移封されると新たに北ノ庄城が築城され、第3代藩主の時代に福井城と改名されます。
現在、城跡には県庁や県警本部などが建てられていますが、城の遺構も残っており散策コースにもなっています。
天守閣は4層5階と立派なものでした。しかし、寛文9年(1669年)に焼失、その後幕府から天守閣再建の許しはでませんでした。
天守台跡には「福井」の由来とされる井戸「福の井」があります。
本丸西側には御廊下橋が復元されています。御廊下橋は本丸と西三ノ丸にある御座所を結ぶ藩主専用の橋。藩主専用なので屋根付きの立派なものです。
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福井城の前身は、天正3年(1575年)に柴田勝家が築城した北ノ庄城ですが、賤ヶ岳の戦いで敗れた勝家が城に火を放ち妻のお市とともに自害したので建物は焼失してしまいました。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで功を得た結城秀康が越前北庄に初代藩主として移封されると新たに北ノ庄城が築城され、第3代藩主の時代に福井城と改名されます。
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天守閣は4層5階と立派なものでした。しかし、寛文9年(1669年)に焼失、その後幕府から天守閣再建の許しはでませんでした。
天守台跡には「福井」の由来とされる井戸「福の井」があります。
本丸西側には御廊下橋が復元されています。御廊下橋は本丸と西三ノ丸にある御座所を結ぶ藩主専用の橋。藩主専用なので屋根付きの立派なものです。
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