◎神奈川県◎
最明寺跡史跡公園は高松山の麓に広がる丘陵地帯にある史跡公園です。国道246号線沿いに看板があるので登り口はわかりやすいと思いますが、くねくねした坂道がかなり続きます。
道の谷側に何やら並んでるものがありますが、これは松明の皿。松明については、松田城が落城したときに城主や家臣の道案内に松明を灯した説や、害虫を山頂に集め五穀豊穣を願ったという説、洪水による被害者の霊を慰めるためなど諸説ありますが定かではありません。
毎年8月の終わりには百八ッ火(ひゃくはって)と呼ばれる行事が行われています。
最明寺は承久3年(1221年)に建立された真言の寺院で、当時は西明寺と呼ばれていましたが、文明元年(1469年)に大井町に移転しました。
公園には遊歩道がありハイキングコースにもなっています。
管理事務所の前には窯の跡があります。奈良時代に瓦を焼いた窯の跡。
のぼり窯は4基発見され、そのうち1基がここに移築保存されています。長さは約7メートルで内部は9段あり、1回で屋根瓦を150〜200枚は焼けたと推測されています。
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最明寺跡史跡公園は高松山の麓に広がる丘陵地帯にある史跡公園です。国道246号線沿いに看板があるので登り口はわかりやすいと思いますが、くねくねした坂道がかなり続きます。
道の谷側に何やら並んでるものがありますが、これは松明の皿。松明については、松田城が落城したときに城主や家臣の道案内に松明を灯した説や、害虫を山頂に集め五穀豊穣を願ったという説、洪水による被害者の霊を慰めるためなど諸説ありますが定かではありません。
毎年8月の終わりには百八ッ火(ひゃくはって)と呼ばれる行事が行われています。
最明寺は承久3年(1221年)に建立された真言の寺院で、当時は西明寺と呼ばれていましたが、文明元年(1469年)に大井町に移転しました。
公園には遊歩道がありハイキングコースにもなっています。
管理事務所の前には窯の跡があります。奈良時代に瓦を焼いた窯の跡。
のぼり窯は4基発見され、そのうち1基がここに移築保存されています。長さは約7メートルで内部は9段あり、1回で屋根瓦を150〜200枚は焼けたと推測されています。
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